触れずにおきたかった児ポ法の話
頑固な油汚れのように
2013年5月29日、例の「児童ポルノ禁止法改正案」が、衆院に提出された。
今回の改正案の争点は、まずいわゆる「単純所持」の禁止。児童ポルノ画像などを「自己の性的好奇心を満たす目的」で所持した者に、1年以下の懲役または100万円以下の罰金を課すとしている。さらに検討条項として、「児童ポルノに類する」漫画やアニメなどと児童へのわいせつ行為などへの関連を「調査研究」し、3年後を目処に「必要な措置」をとることが求められている。
この改正案、過去にも提出されては成立を見送られて来たのだが、それには相応の理由と問題がある。すでに多くの識者が多面的な論陣を張っているので、オタクを自認する方なら見聞きしていることだろう。
ただ俺様的には、一連の議論にどこか煮え切らなさを感じた次第。そこで今回は、あくまで法律の素人である一個人の雑感として、その辺りをしたためておきたい。
「単純所持」ったっていろいろです
まず第一に「単純所持」について。実は俺様、こと実写の児童ポルノに関してなら賛成だ。
児ポ法の最大の目的は、幼い子供たちを守ることである。なぜなら幼児というのは、自分がやっていること、やらされていることの良し悪しや、将来に渡るその影響について、成人ほど的確な判断ができず、できたとしても「イヤだ」と言うのが難しいだろうから。クズみたいな親が自分の子供を児童ポルノに出演させていた場合、被害者である子供たちに何ができようか?
そういう境遇にある子供たちを救うのが児ポ法の存在意義であり、そのためなら最大限、あらゆる手段を採るべきと、俺様は考えている。忘れてはいけない、「ただ持ってただけ」のその動画なり写真なりに映ってるのは、クソみたいな大人に食い物にされながら、どこかで生きている生身の子供たちなのだ。「持ってるだけでヤバい」という法案が、購入者や商品を扱うアングラショップに対して大きなプレッシャーとなり、結果「児童ポルノは売れない=金にならない」となる可能性には、乗ってみる価値があろう。
ただし逆説的に、この「児童ポルノの被害者を減らす」という大命題から外れた部分では、法の濫用を厳しく監視していく必要はある。なんか国会では、過去に宮沢りえの『サンタ・フェ』が児童ポルノに当たるかどうかが議論されたとか。まったくもってバカらしい。当時18歳の本人が納得ずくで行なった芸能活動を槍玉に挙げて、どこの児童を救える? 法の運用上「どこまでがポルノか?」という問いが出ざるを得ないのは理解できるが、肝心なのは「ポルノかどうか」ではなく、「規制によって救われる被害者がいるかどうか」のはずだ。
同様に、別件逮捕の口実に使われないよう、行使の過程を透明化するのは必須だろう。「単純所持を禁じれば児童ポルノソフトは減るのか?」という検証も続けられるべきだし、結果が「ノー」なら違う手を考える必要もある。
とまあ、ここまでが「実写児童ポルノの単純所持」にまつわるハナシ。ただぶっちゃけて言うと、これは前座に過ぎない。
そう! この法律の最大の問題は
「児童ポルノに類する」漫画やアニメなどと児童へのわいせつ行為などへの関連を「調査研究」し、3年後を目処に「必要な措置」をとることが求められている。
という検討条項のほうなのだ! いわゆる「非実在青少年」がウンタラとかいうアレ、もっとハッキリ言っちゃえば「ロリ系のエロマンガやイラストの単純所持も違法化する」って流れである。
これに関しては、すでに多くの漫画家や識者から反論が寄せられている。私見ではその多くが、主として「表現の自由」に軸足を置いたもののようだ。もちろんそれらは、お説ごもっともである。
ただ俺様自身は、表現の自由とはほとんど関係ない部分で、この検討条項に怒りを覚えている。そりゃもう、ハラワタが煮えくり返るほどに。
なぜか? この検討条項に、人類が培ってきた近代法の精神とは真逆の悪辣さを感じるからだ。そしてそれにも関わらず、いけしゃあしゃあと「正義ヅラ」していやがるからだ!
ロリコン=性暴力者という幻想
基本的なところからはじめよう。まず第一に、ロリ系エロマンガであんなコトやこんなコトをされてるのは、架空のキャラクターである。ていうか「絵」である。ゆえに、実写の児童ポルノのような直接の被害者はいない。一方で、ロリ系エロマンガで喰べている漫画家や編集者、出版社はいる。これを規制しても誰も救えないどころか、路頭に迷う人間を増やすだけだ。
これだけでも反論には十分なのだが、どうもこの検討条項の推進者たちは、「ロリ系エロマンガに劣情を刺激された連中が、児童への性犯罪に走っている」と考えているらしい。
そんなバカな、である。
だって、世に出ているロリ系エロマンガの販売数と、児童を対象とした性犯罪の相関は、まったく証明されていないんだから。2012年、警察庁が摘発した児童への性的虐待は96件(時事ドットコム調べ http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_tyosa-jikenchildren-casualties)。対して山ほどあるロリ系エロマンガの単行本は、それぞれにつき千部単位の刷り数だろう。むしろここから読み解けるのは、アキバのアレなコミックショップでロリ系エロマンガを買ってる人たちの圧倒的大多数が「児童への性犯罪になんか走っていない」ことのほうだ。
「でもごく少数は、ロリ系エロマンガに触発されて性犯罪に走ったかも知れない。被害者を少なくするためには何でもやるべきだって、アンタ言ったじゃないか!」
ですって? ふむ。本当にそうだろうかね?
ネット上では散々言及されているが、こんなデータがある。
犯罪率統計-国連調査(2000年)
G8の1999年ないし2000年の強姦(件/10万人)
カナダ 78.08件 単純所持禁止 二次元禁止
アメリカ 32.05件 単純所持禁止 二次元禁止(ただし違憲で無効)
イギリス 16.23件 単純所持禁止
フランス 14.36件 単純所持禁止
ドイツ 9.12件 単純所持禁止
ロシア 4.78件
日本 1.78件
実は、ロリ系エロマンガの単純所持を規制している国のほうが、強姦事件の件数は多いのだ。児童ポルノ云々とはまったく違う要因も考えられるため、このデータから「児童ポルノの規制が強姦事件の多発を生んでいる」とは「言えない」が、逆に「ロリ系エロマンガの単純所持を違法にすれば、児童への性的虐待は減るはずだ」という理論もまた、成り立つはずがない。
むしろ俺様などは、あくまで卑近な感覚に基づいてではあるが、上記のデータを「なるほどなぁ」と思いながら見たものだ。だってその……すこぶる下品なモノ言いになるけどさ。
エロマンガで幼女への性愛を「発散」するのさえ禁じられちゃったら、そりゃ犯罪に走るヤツだって、出てきかねんよなぁ、と。
パオロ・マッツァリーノ氏の『反社会学講座』では、昭和33年からの数年間、強姦事件の件数が激増したことに関し、同年施行された売春防止法との関連の可能性が指摘されている。胸クソ悪い事実ではあるが、似たようなケースって可能性はあるんじゃない?
先にも述べたように、だからと言って実写児童ポルノの単純所持を認めるのは、俺様も反対だ。ごく少数の児童を「生贄」に、犯罪の総数を減らして良しとすようなやり方は。だけどさ、さっきも言ったけど、エロマンガに被害者はいないんだぜ? むしろロリ系エロマンガっていう「性欲のはけ口」を用意しといたほうが、子供守れるんじゃねぇの?
それでも。だがそれでも、一部の規制論者は、きっと言うのだ。
「だけど、ロリ系エロマンガを読む人たちが、幼女に性欲を抱いているのは間違いないんですよ? そういう人たちが、もし自分の子供に牙を剥いたら? 親として、心配になって当然じゃないですか!」
ここまで言われてしまうと、もう俺様も冷静でいられない。
ふつふつと湧いてくる怒りが、抑えきれなくなるからだ。
「気づいたら変態だった」という人生
いや本当に、人の性的嗜好というのは様々だ。
普通に暮らしている「普通の人」は、なんとなく「みんな自分と同じ性的嗜好を持ってる」ものとして、世間を見ているのだろう。それはほとんどの場合正しいのだが、フリーの売文屋なんていう商売をしていると、そういう「普通」からはみ出てしまった方たちとも、知遇を得る機会が少なくない。そしてそのなかには、とてもここには書けないような嗜好の持ち主もいらした。披歴したなら良くて「変態」、最悪「狂人」と目されるような人も。
だがね、「普通の人」たちよ。ちょっと考えてみて欲しいのだ。
誰がスキ好んで、「変態」に生まれるものかよっ!!
俺様が知っている、あるいは聞いている「変態」がたは(あえてかかる言い方をしているが、侮蔑する意図はまったくない点、どうかご理解願いたい)、みな「気がついたらそうだった」のであって、自らの性的嗜好を「能動的に選び取った」わけではない。「普通の」人だって、これは同じはずだ。巨乳好きもショートカット好きも、細マッチョ好みも眼鏡男子好みも、別に人生のある時点で「今日からそうなろう!」と決めたわけではあるまい。
であるなら、自由意志とは無関係に、自分の性的嗜好が(世に言う)「変態的な」ものだと気づいてしまった人の気持ちとは、果たしてどんなものだろうか?
幼い子供にしか欲情しない自分を意識し、それを現実に満たすことが決して、死ぬまで許されないと気づいてしまった人々の辛さ、苦しさ、後ろめたさ。本当に満足できる性愛の喜びを、ほかでもない愛する幼女たちを思えばこそ、諦めなくてはならない人生。
正直言って、俺様には想像もつかない。唯一想像できるのは、彼らの多くが何度も何度も、こう思ったかも知れない、ということだ。
「普通だったら、どんなに楽だったろう」と。
……なあ。誰にだって、人生は一回こっきりなんだぜ?
この恐るべき、愛のない世界
こんなことを言うと、反論する方もある。
「だったらちゃんと、成人女性を愛せるように矯正すればいいじゃないか」
ハッキリ言う。想像力のかけらもないその言い草には、悲しみしか感じない。
これは、同じように「多くの人と違う」性的嗜好指向(※)、同性愛のことを考えてみれば理解が早かろう。仮に異性愛者がこう言われたら、果たしてどうする?
「アナタが知ってる世界はぜんぶ夢で、いま目覚めたこの世界では、同性愛が普通です。あなたも今日から、同性と愛し合ってください」
俺様だったら、たとえ世界中を敵に回しても御免だ。恐らく多くの異性愛者は、そう思うだろう。
性的嗜好が「普通」と違う人に「普通になれ」と要求するのは、これと同じことである。残酷な物言いだ。
※6/08 修正致しました。「どの性を対象とするか」という場合は「指向」が正しいです。ご指摘に感謝し、お詫びして訂正いたします。
「でもそれが、生物として正しい姿なんだから」だって? それじゃあお聞きしますが、いまの世の中、必ずしも「生物学的に生存の可能性が高い異性」だけがモテてますか? つまり、脂肪をたっぷり蓄えた人とか、警察の手を逃れながら300人ぐらい撲殺してる人とか。あるいは、浮き世絵に描かれた「昔の美人」とか、遠い異国で美人とされる「首と耳がやたらと長い人」でもいい。
人間は「生物学的に正しい」異性を、それゆえに愛するのではない、と俺様は思う。「望ましい愛の対象」は文化のコードに規定され、それでも最後には、心で感じた人を愛するのだ。そして、たとえ生物学的に正しくなくても、心で感じた人しか愛せないのは、性的嗜好に関わらず同じことなのでは?
繰り返しになるが、もちろんだからといって、ロリコンが幼い子供を相手に性欲を満たすことは、決して許されない。たとえ合意のうえであろうとも、児童の未熟な自我を考えれば、それは憎むべき犯罪である。
だからこそ、ロリ系エロマンガ購買者の圧倒的大多数も、ごく当たり前に恐ろしい性犯罪を憎み、距離を置いている。ナースフェチだというだけで、「普通の人」が病院で連続強姦を働いたりしないのと、まったく同じように。
それどころか、俺様の知る「普通じゃない」人たちは、みな大人しい紳士ばかりで、世間から見れば「変態的な」自らの性癖は、よっぽど仲良くならない限り、おくびにも出さない。「やっぱ貧乳がイイよね!」みたいに、軽口まじりで性的嗜好を披瀝するようなことすら、ない。もしご自分がロリコンに生まれついたなら、こうした生き方と「ある日突然幼女を襲いまくる」姿、どちらのほうが容易に想像できるだろう?
先に示したとおり、彼らの圧倒的大多数は、そのように生きているのだ。「普通と違う」自分の欲望を生涯コントロールして、誰も傷つけず、秘密を抱え、息を潜めて、一回こっきりの人生に折り合いをつけて生きているのだ。
そういう人たちから、空想上の性愛すら奪おうっていうんだよ、この法律は!
現実には誰も傷つけない、虚構のなかの性欲のはけ口。それすら取り上げて、「お前ら変態には性欲を持つことなど認めない。持ったら犯罪!」って、言ってるに等しいんだよ!
人間であれば、どんな性的嗜好の持ち主にだって、性欲はある。もちろん、ロリコンにだってある。現実にそれを満たすことが決して許されないから、せめて虚構のはけ口を求めるのが「犯罪」だって言うなら。誰も傷つけてないのに犯罪だって言うなら、それはもう「キモい奴らはキモいだけで犯罪」、煎じ詰めれば「キモい奴らは存在することが罪」ってコトじゃないか。
こんな無茶苦茶な、むごい話が、あってたまるものか。
嫌悪感が生んだ「キモいという罪」
「公共の福祉」という言葉がある。この言葉を使ったお決まりの文言、「公共の福祉に反しない限り」とは、即ち「他者の人権と衝突しない限り」という意味だ。
教えて欲しい。空想の、あるいは虚構の世界で、許されざる相手と許されない愛欲にふけるのが、一体誰の人権と衝突するのだ?
そもそも「お上」というのは、この「公共の福祉に反しない限り」において、最大多数の最大幸福を実現させるための装置であると、俺様は理解している。つまり、誰かを傷つけない限り、思想、信条、信教、ましてや性的嗜好とを問わず、万人の幸福を最大化するのが仕事だ、と。だからこそ「お役人さん」や政治家の「先生」は、尊敬を集める仕事だったはずだ。
勘違いすんなよ、センセーがた。思想、信条、信教、そして性的嗜好は我々個々人のものであって、「これこれこういう風に生きろ」なんてのは、お前らが一番言っちゃいけないセリフなんだ。
にもかかわらず、この条項の推進者たちは、「普通じゃない」人々を「普通じゃない罪」で、社会から駆除しようとしている。それも、圧倒的多数の人々の「性的嗜好が普通じゃない奴らはキモい」という感情を後ろ盾に、憤懣やるかたない「正義ヅラ」を浮かべて。
俺様に言わせりゃ、そっちのほうが遥かに醜悪だ。
嫌悪する相手の人権こそ、守れるかどうかが問われる
だが、それでも。これだけ言っても。やっぱり多くの「普通の人」は言うだろう。
「でもやっぱり、そういう人たちは気持ち悪い」
……うん。それは、わかる。ていうか、「普通の」人なら、それこそ当たり前な反応だ。かく言う俺様だって、ロリ系エロマンガのアレな描写には正直ドン引きするし、それ見てニヤニヤ笑ってる人がいれば、即刻その場を離れるだろう。子供を持つ親御さんの心配だって、気持ちのうえでは当然だと思う。
しかし、どんなにキモチ悪い、あるいはキライな奴であっても、「公共の福祉に反しない限り」自由と権利を認めるというのは、人類が血であがなった叡智なのだ。マイノリティがマイノリティなるがゆえに、弱者が弱者であるがゆえに、犠牲となることのない社会を築くために。マジョリティの意見だけが通る弱肉強食の世界では、いつ自分も「弱者」になるかわからない、その教訓が生んだ偉大な遺産なのだ。
同じように、「やりそうだから」という恐怖に任せて、「やってもいない」犯罪で人を罰することの恐ろしさは、歴史がイヤと言うほど教えてくれている。
確かに児童への性犯罪を犯した者のなかには、ロリ系エロマンガの読者もいただろう。しかし、その因果関係を示す有意なデータがなく、それどころか真逆のデータすらある状態で、ロリ系エロマンガの購買者を犯罪者予備軍として罰するなら、それは魔女狩りだ。異国の地で日本人の殺人鬼がひとり出た瞬間、その国の日本人すべてを処刑して、問題が解決したフリをするようなものである。
決して大袈裟なハナシではない。現にいま、成人女性の出てくるエロマンガはフツーに売っているし、虚構の産物である痴漢モノのAVを持っていても、逮捕されない。だがこの条項は、特定の性的嗜好の持ち主に限って、これらを犯罪化しようとしている。「法のもとの平等」など、まったく無視されているではないか。
ロリコンの空想が自由であるように、普通の人が彼らをキモいと「思う」のも、また自由だ。それは仕方ないし、関わりたくないなら避けてもいい。だがその嫌悪感ゆえに、彼らの「最後の自由」である無害な虚構まで奪い取るのは、果たして正しいのだろうか? やってもいない犯罪で彼らの自由を奪うのは、我が子への愛で正当化され得るのだろうか?
キモいヤツらには、誰もが持ってる性欲も、人権も、なくていいのだろうか?
この検討条項には、我々が幼い子供たちに一番教えるべきこと、即ち「自分が同じ立場っだったら、どう思う?」という共感が、想像力が、愛が、どこにもない。
こんなのは間違ってると、俺様は思う。
すっかり長文になってしまったが、以上でお分かり頂けただろうか?
そう、俺様は怒っている。
表現の自由が危機に瀕しているからじゃない。
オタクカルチャーの芽が摘まれそうだからでもない。
自分がロリ系エロマンガのファンだからでもない。むしろ、そんなんこの世からキレイさっぱり無くなっても、俺様自身は一向に困らない。そういう趣味を堂々と披歴するヤツらの神経を疑うし、正直キモい。
ついでに言えば、どうやったってシモのハナシになるんだから、できればこの話題には触れずに済ませたかった。
にもかかわらず、俺様をして本稿を書かせたこの怒りを、一体なんと呼ぶべきか?
「社会正義」って言うんだよ、バカヤロー。
- 作者: パオロマッツァリーノ,Paolo Mazzarino
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
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